今日は朝から寺内町の館へアポをとり、4時限目に寺内町の館へと向かいました。
そしてほっとガイドの方にお話を伺ってきました。
質問内容は
寺町にあった寺の名前
寺内町の水脈
井戸のあるところ
でした。
寺については、今あるのは智慧光院、玉保院、厚源時です。
今、寺内町の館の建っているところは高松寺で、昔厚源寺の隣にあったのが∴入寺(←字がでない・・・)
他に慈智院、隆崇寺がありました。
昭和55年10月30日発行「高田の寺々」抜粋
水脈について
・昔から寺内町では水害が多い。
・毛無川へ流れてくる上流は芸濃町の横山池
・毛無川へ流れてきた水は、二手に別れ流れていく。
その片方を水害があったため、とめていた。
・今そこに井戸を作り、きれいな水を流す活動を推進してる。きれいな川を目指して!
(川上から流れてくる排水をもらってしまう。)
でも、それをすると、傾斜の関係で赤門近くの人は雨の日水害で危なくなりやすいから・・・。
だから、天水と生活排水をわけるとか・・・
広い意味での一身田を考え話している。
一身田寺内町観光振興懇話会と町づくり推進協議会が動いてる。
・水の回り方としては、高田学園で分かれて高田学園の中を通っていくのが外堀
そこに本山の池の水がオーバーフローしてる。そのまま真っ直ぐ行って、ポンプ場へ。
・もう片方のはテニスコートのほうへ、内堀。
・毛無川を真っ直ぐ行くと、江戸橋のほうのポンプ場へ
・曲がってサティ前のポンプ場へ
・川下での水害対策が重要。ダム工事が重要
井戸
・寺内町では、きれいな水が出るところと汚い水が出るところがわかれ、今残ってるのはきれいな水のでるとこだけ。
・昔きれいな水の出るとこから、竹をくりぬいて管にして、水をもらうなど、独自の水脈があった。
今、本物で見られる寺内町を散策してくれる人が見る分だけでも作りたいと聞きました。
また、私たちの発表のやり方として、歴史を含ませて行うといいと思うという意見をいただきました。
うん、うまくまとめれずだらだらとごめんなさい。
思った以上に歴史、そして現代の寺内町の活動につながった話を聞けて、よかったと思う。
以上!
washizouです。
返信削除今日のお話をしていただいたのは、実は皆さんのゼミの先輩のお父上です。本当に一身田のことを考えておられる人です。
現代の寺内町というテーマに水脈がどう関わるか心配していましたが、水濠という視点で、現代の寺内町、水濠の昔,今、そしてこれから、なんていうようなテーマでお話をまとめることができるのではないかと思いました。
あるいは、水と寺内町 昔と今、そしてこれから
きれいな水が出ているところは深く井戸をほったところらしく、お金のある醤油醸造のところが掘って、その水を近所に竹で作った水道管で皆に利用してもらっていたようですね。